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勝手に引用のことを語る

  加えて、善行というものは、「こうしなければならない」という義務感や使命感で無理なことをやるよりは、「これが自分のしたいことだから」という動機でやるほうがうまくいく、ということは言えると思います。
  昔からあることわざに、「情けは人のためならず」という言葉があります。人に情けをかけることは、めぐりめぐって自分のためになることになって返って来る、という意味です。また、めぐりめぐってこなくても、「人のためにやっている」というよりは最初から「自分のためにやってます」と言う方がさわやかでいい場合が多いのです。
  ボランティアや慈善行為というものも、「あなたのために」とやられると、かえってイヤミになることがよくあります。むしろ、やる側が自分の利益や楽しみにつながるような形でやったほうが、気持ちがいいし、長続きもするのです。

  というわけで、クリスチャンを偽善者呼ばわりする人びとは、「クリスチャン=心底から人を愛そうとしているおバカな人びと」と誤解しているようなのですが、いやなに、クリスチャンでも結局は自己愛から行動しているのはわかりきった事実です。しかし、自分が偽善しかできないからと言って、悩んでも仕方がないから悩まないのです。クリスチャンであるかないかに関わらず、人間はなにか善を行えば必ず偽善者なんですから。
  むしろ、自分がそんな偽善者に過ぎないことを自覚して、「そんな偽善的行為でも誰かの役に立てばありがたい」と考えて生きるほうが、「偽善者になりたくないから」というつまらない理屈で善を行うことから逃げる怠慢な人びとよりマシです。また、「これは自分のためにやってますから」と言いつつ善行を行うほうが、善意を受ける側の人も気持ちが楽だし、努力が報われなかったときでも腹立たしく思わなくて済むのです。
  人間は偽善者でしかありえないし、偽善者でよいのです。人を偽善者呼ばわりする人は、そこまで深く考えていません。もしあなたが人から偽善者呼ばわりされても、「幼稚だな」と思って気にしないことです。

キリスト教・下世話なQ&A「クリスチャンって偽善者っぽくないですか?」