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ドアのブのことを語る

溺れる人を助けようとしてしがみつかれ、共に溺れる危険がある時は
身の安全を確保できるところから助ける、と同じ理論で
精神的に弱っている人と関わる時は、自分も疲れ果てない範囲で関わることが互いの健康と命のため、だと思うのだけれど
「死にたい」「憎い、殺したい」という話を聴いてるうちに「じゃあ私も死にたいし復讐したい」と影響感化されてしまう私には
今のところ、それは向かないな、ムリなことだな…と思う
自分の安全と身近な人へ、さらに落ち込みを伝播しないために、距離を置く、見ないことにする
…という対処しかできない
冷たいかもしれないけど やっぱり顔を知らない人の言葉に触れて、日々のエネルギーを消費して
家族を悲しませるわけにいかないので…

また、そう思うと如何に自分も愚痴を書き連ねることで
はるか遠くの人たちを消耗させていたかもしれないな、と恥ずかしくなる