気づいたときには、口に出して感謝を使えるようにしています
でも疲れているとき 心に余裕がないときには 気づけないときもあります
「掃除したのに気づいてもらえない」と理由で すねるのであれば 私は年中不機嫌になっていますね
「私は家族にとっての『ホーム』である」や
「お母さんが不機嫌だったりつらそうだったりすると 家の中がくらくなるからつらい」という言葉をよくいただきます
では 私にとっての『ホーム』はどこなのでしょうか?
皆の帰る場所であるために 私は家に居るべきなのでしょうか? そこに縛られなくてはいけないのですか?
「家の居心地の良さは、わたし次第」なのは、あとどのくらい続くのでしょうか?