一晩経ちまして
「髑髏城の七人〜風」
・パンフを読んだら「(小栗旬のときの)若髑髏で捨/魔王二役を止めたことで、三人の若者それぞれの青春を描くことができた」って書いてありました。風では、それをもっと明確に描いてあるような気がします。誰も過剰なドラマを背負っていない、等身大と言ったらおかしいかもしれないけれど。
・三人とも(家康もなんだけど)、抗えない歴史の流れの中で、こうならせざるを得ない8年を生きてきて、もしかしたら本能寺の前から実は役割の中で生きてきて、それがこの機に生き直す機会を得たのかしらって思います。それが捨、家康には未来に続くもので、天魔王、蘭には終わりへの道になったんだけど。けど、天魔王と蘭もこの数日に凝縮された生を生きたんじゃないかなぁ
・って思うのは、蘭に天下取のプランを話すときとか、一緒に無界の里に行くときの天魔王が普通っぽかったから。エゲレス案がボツになるまでは、二人で(捨が断らなければ、昔のように三人で)天下取りの戦をするつもりだったんじゃないかなぁ。
・蘭も、今までの蘭は「死に場所を求めていた」っていうかんじで、天魔王につくことにした後も生きているのが辛くて酩酊していたりしたのが、風の蘭は「森蘭丸として生きたい」という願いが抑えきれなかったみたいに見えました。序盤に捨が「秀吉に勝てるわけない」って言った時に、みんなの中で一人背中を向けたり。だから髑髏城入りした後、元気だったもの。
・天魔王は信長の影武者としてではなく、自分の戦いをしたし。蘭は森蘭丸として生きて、死んだし。捨は自責の念から解放されたし。
・天魔王の最後の策略、捨を身代わりにするアレも、当初は逃げ延びて再蜂起するための目くらましだったんだろうけれど、それも叶わなくなったところで、自分の顔を傷つけてまで捨を身代わりにしようとしたのは、「そういうヤツ(陰険なヤツ)」だからっていうより、もう信長の影武者は止めたかったからじゃないかなぁ。あれで、首を取られていたら、元々「人の男」と呼ばれるだけの名もない人間だし、「信長の影武者だった男」として晒されることになったんだろうし
・花鳥風の天魔王の変化は、どれも好き。月はどういう趣向なのかわからないけれど、鳥でも天魔王の変化は深いものがあったので、きっと何かあるんじゃないかなぁ。気になるなぁ。
今日観た舞台のことを語る