根源的な疑問として「なにかを知っている」「なにかを持っている」ということが、その対象物に対する深さの指標になるのだろうか、というのがずっとあって、でもわからない。もちろん同質性のある間柄ならそれは同質性のあることの確認にはなるんだけど、でも時間もお金も有限だし、生きてく上では他のこともしなくちゃいけないので、残念ながら資金や時間に余裕がない人間は、それほど多くのことを知ることはできない。たくさん知っている人たくさん持ってる人の前では永遠の敗者というか同じ土俵に立てない哀れな地位に甘んじなければならない。
本を読むのは好きなんだけど、羊羹の喰えない十二指腸潰瘍をやって、そのあと「草枕」や「猫」を読んでて、笑えるくらいの羊羹の描写や羊羹の批評を読み取って、悲劇的なことと喜劇的なことは表裏一体なのかなと改めて思い至り、ああいままでそういうふうに深くは読んでこなかった、と反省してて、これは本の数を稼ぐべきではなくて一冊をどうやって深く読むかということを気にすべきなんだなと考えて、知識の多少は気にはしなくなってる。
のだけど、別に他人に比べて知識がないし本も読んでないし、永遠の敗者でも良いと思いつつ、うがーってなることはないわけではない。dadakoさんのマニアの話から脳内が謎発展してぐるぐるしてるのだけど、答えはないです。
オチをつけないといけない気がするので書いておくと、羊羹は消化に悪いです。なのでようかんでください(東京都・40代・十二指腸潰瘍経験者)
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