すぐに何万もいいねが付くようなプラットフォームを今さら始めたんだけど、そんな所で捨て垢で誰かに傷付ける言葉を投げた奴がいて、何だか皆がその誹謗を成仏させようといっせいに思い思いの念仏を唱え始めたわけです。
傷付いた当の本人は誰なのかも分からず、その本人に寄り添う慰めの言葉は果たしてどれだけあろうものなのか、もはや明確な対象の実体が存在しないそれらの念仏は慰めというよりも怨みの言葉でしかなく、こういうプラットフォームで大抵の場合賢い態度は結局無関心と沈黙なのだろうと感じた次第でした。
と同時に、顔が見えるコミュニティって稀有よね、大事よね、と感じた次第です。
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