作品のために推古天皇崩御の際の主要人物の年齢が知りたい。年齢がわかる関係者は三人。
- 推古天皇:治世三十六年(628)に死んだとき「年七十五」と記載あり。欽明帝の十五年(554)生まれ。
- 中大兄:舒明帝がその十三年(641)に死んだとき「年十六」と記載あり。推古帝の三十四年(626)生まれ。
- 聖徳太子:用明帝の二年(587)に十五、六歳と取れる記述あり。敏達帝の元年(572)頃の生まれ。推古帝の二十九年または三十年(621、622)に死んだとき五十歳くらい。
推測される年齢。
- 蘇我馬子:これより前、推古帝の三十四年(626)に死んだ。敏達帝の元年(572)に大臣。推古帝の母の兄弟。死んだときに八十歳前後かそれ以上か。
- 蘇我蝦夷:皇極帝の四年(645)に殺される。推古帝の末年には五~六十歳か。
- 蘇我入鹿:皇極帝の四年に殺される。皇極帝の元年(642)に「自ら国政を執り、威は父より勝る」という。推古帝の末年に二十代後半から三十代前半くらいか。
- 境部摩理勢:一説に馬子の弟。山背擁立を主張して蝦夷と対立し殺される。七十歳前後かそれ以上か。
- 舒明天皇:敏達天皇の孫。祖母広姫は敏達帝の四年(575)没。父押坂彦人の名が最後に見えるのは用明帝の二年(587)。三十~四十歳か。
- 皇極(斉明)天皇:敏達天皇の曾孫。押坂彦人の孫。斉明帝の七年(661)没。すでに中大兄を生んでいるから最低でも当時十代後半。二十歳前後くらいか。
- 山背大兄:聖徳太子の子。父が二十歳前後のときの子なら当時三十代半ばか。舒明帝と位を争ったから同じ年頃だろうか。
- 古人大兄:舒明帝の子。母は蘇我氏。馬子の孫。中大兄の兄。十代くらいか。