なんにも読まずに語ると・空気を読まずに語ると、自分が特別だとも変わってるとも考えているわけではないのだけど、結果的に他人と考え方とかに差異があることがある。ほかの人が考える最適解を私はそれが最適解ではないと思っちまうことがある。面白いことを言ったつもりでもないけど他人からすると「面白い」とかもある。解がひとつとは限らないのに、他人と一緒が尊重されるべき世の中では、他の人と違う解を持つことはバカにされたりこいつはちょっと変なやつ、になるのでいくらかしんどい。ただ中学高校のときはいざ知らず、別に誰からも好かれたいわけではないからそれでもいいや、しんどくてもいいやというのはある。匿名で書くことをはじめても多数にあわせることができないので、多数派にはなれないな、という自覚があるけど、こういう場所があるからぼっちにはならずに済んでいる。でもTwitterにいったらたぶんぼっちになると思う。あそこは短文で意思疎通するところなんだけど、省略された文章を共有する能力や知識≒他人と一緒がないと生きてゆけないから。たぶん、ムリ。
「わからない」というのはわたしも他人に対して「わからない」と感じることがないわけではないので云われても平気かなあ。言語は尽くすけど限界はあるかも。他人と同じ体験をしないと理解できないこともあると思うし、他人が私と同じ体験をしないと理解できないこともあるとおもう。後者はたとえば明太子のうまさについて。
そこでですね、皆様にぜひ食していただきたいのが福太郎の明太子でございます。辛子明太子ですからもちろん辛いのですけど、下味のお酒が福太郎の場合は他の店の明太子にくらべて残ってて、なんとも複雑な味わいが楽しめます。めんべいも美味しいです。
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