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笑みのことを語る

「無実はさいなむ」と「春にして君を離れ」のネタバレ含む

クリスティーが書くお母さんのひとつのパターンがこの手の、いわゆる毒母。ただ、わたしの抱いてるイメージはドラマで描かれてるようなわかりやすく高圧的威圧的なのではなくて、もっと、「地獄への道は善意で舗装されている」ような感じだった。まったく悪意からではないのがわかるだけに、その独り善がりな正義と愛と善を拒否否定拒絶することができず、真綿で首を締められて弱っていくこども、気づかないで自己満足してる母親。
だから、ドラマの母親像はかなり違和感があった。
でもこのドラマの「真相」なら、なんとなくこの母親にも納得できるの。初めからああではなかったんじゃないか、あの父親がああだったからじゃないのか、ということ。
そこに至って、わたしは『春にして君を離れ』の最後のとこ、ヒロインの夫の視点での語りのむごさを思い出してた。初めて読んだとき、わたしは、この夫はこんなふうに彼女を哀れみながら、口許には無意識に笑みを浮かべてるんじゃないか、と、そう思った。その笑みは、いい意味合いのものではなくて。
あのヒロインがあのままでいる限り、夫はずっとこどもたちの味方よき理解者いい父親として存在してられる。実際にはこどもたちのために具体的な行動を起こしていなくても。
この父親はあの夫みたいだと、そう思った。そしてこっちの母親は、不幸にも、わかって気づいてしまって。カーステンのことで。そしたら、そのままでいることはできなくなって。
そういうふうに考えたら、この脚本家は『春にして君を離れ』をどう描くだろう、と、ちょっと興味が出てしまった。