愛はマゾヒズムやサディズムと間違えられやすいが、そういうものは愛と言うよりは愛着と言う方が正しいのではないかとは思うのだが、そういえば語の成り立ちからいって「愛」と言う字が付くのが紛らわしさの原因であるようにも思う。
もちろん、愛と愛着が交差するときに極めて強い幸福感が期待できると言うこともその混同の原因だとは思うが。
おそらく、愛の発見は数々の問題を引き起す愛着を、愛と愛着が交差する至上の瞬間から丁寧に分離してやっと発見されるものに思え、またそれは直接的には見出し難いもの、より見えにくいものであるが故に、それを見出すことには一定以上の経験が必要で、しかも必ず見出されるものではないと言うところに様々な問題の原因があるように思えてならない。たとえばフロムの語るように。