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有権者のことを語る

「有権者の劣化」と言うが、有権者が劣化したわけではなく、メディア構造の変化がだらしない感情のだらしない表現を可視化したに過ぎず、有権者一般はもちろん一部に新しいメディア構造が纏めあげてしまった劣情を内面化して文字どおり「劣化」した人もいれば、むしろ以前より多様なものへの理解と寛容さを獲得した人もいるというのが実情。
概ね我々は「劣化」などしておらず、昔から極めて「劣」った存在だった。
まぁ、あえて「劣化」したと言うのであれば権力側の建前が劣化したのであり、その劣化を招いた劣情をカネや票に繋げる邪悪な試みを排除する仕組みが新しいメディア状況のもとで出来上がっていないと言うことが露呈していると考えるべきだと思っている。

なんかこういう「××の劣化」みたいな語りと言うものに警鐘を鳴らす効果は一定程度認められるものの、そう語る側、それに賛同する側が「劣化していない側」に付いたと錯覚し、皆がそちらサイドに移ればいいのにと言う構造的把握としては極めてナイーヴなものに留めむしろ害悪ではないかと思え苛立ちを感じるのだった。
こういうときにより重用なのは大きな枠組みでは新しいシステムの提案と実証をふくめた実験、そして個々人レベルではシステムに頼らない根本的な情緒の為のアートの両面だったりするんじゃないのかな。