神道的宗教観においては、神々の間に基本的には序列を設けない、一応、皇室など国家的に祀る神はあるんだけど、基本的には他者の神も尊重する、紳士的に振る舞うというものだと思う。
また、それらが自然信仰などの色彩を色濃く残すことから牧歌的なスピリチュアリズムのようにしばしば捉えられ、牧歌的かつ慣用的なものとしばしば捉えられるのだが、一方でそうであるが故にキリスト教への激しい弾圧が500年近くにわたって行なわれたという暗い歴史も持っている。
もうひとつこの宗教観は、しばしばそれは超自我を象徴するものに用いられるはずの信仰の対象をも「世間」のなかに押し込んでしまう効果をもってしまったのではないかと思う。自分の振舞いをいつもおてんと様が見ているかもしれないんだけど、そのおてんと様は気紛れで、酔っ払いもすればケンカもするし、もしかすると他のおてんと様に説き伏せられたりだってするのかもしれない、そうするとそこには善性に対しての基準など存在するわけではなく、ただ軋轢だけを避け続けることが賢いことだと感じられてしまう。
道徳もないのことを語る