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旭日旗がなぜ駄目なのか問題のことを語る

サッカーやオリンピックなどのとくにナショナリスティックな性格のあるスポーツイベントなどの応援などでの旭日旗を問題視する声に、この問題の否認サイドの声にしばしば「これは大量旗などにあたりまえに用いられている意匠だ」とか「朝日新聞社旗だって旭日旗ではないか」というものがある。
これらの詭弁の構造は、シニフィエを問題視しているのに対しシニフィアンの問題だと強弁するようなものではないかと思うが、結構な厄介さを孕んだものではないかと思う。
厄介さのひとつは、そもそもシニフィエたる植民地支配の歴史とそれに纏わる感情への意識が薄い者にとっては最初からシニフィアンの問題として捉え違えてしまいやすいことであり、もうひとつはシニフィアンからシニフィエへの意識の移動を促すことそのものの難しさ、さらに言えば記号の外形的操作をしてみせることを賢げなことだと誤解してしまうひとびとの多さがある。
とは言え、こういった詭弁を弄する者達の多くはこの厄介さ故に使える逃げ場たることを理解して使っているのであり、そこには「旭日旗を掲げたい」と言うところから一貫した悪意しかないのだが。