twitterで政治・経済ばかりウォッチしていると考えが凝り固まる怖さを感じる。
ネトウヨどもの浅薄で非論理的な攻撃性、あるいは学者らの容易には突き崩せない緻密な理論とは裏腹に、政治・経済の何らかの施策を訴える人らには往々にしてその施策、つまり戦略しかない。武器を買い揃えて守るないし奪うのは、詰まるところ単に自分の居場所なだけである。
苦悩することと引き換えに、思考はおおきなものに絡め取られ、4次元が3次元に、3次元が2次元に、固着して不自由になっていく。いつしか魂は売り飛ばされて、自身こそが兵器と化していく。
美学者・哲学者でありながら政治家でもあるジャンニ・ヴァッティモのような軽やかさを夢想する。
私達はそんな亡霊が跋扈する醜い闘争の中から、苦しんでいるあの人を助けたい、居場所のないあの人に居場所を!、という祈りを掬い取らなければならないのだから。
政治のことを語る