古来からの儀式や祭りといったものについてはもう十分に非合理的だと思う程には個人化された東京の生活に慣れてしまっているが、歳をとるにつれて儀式に溢れていたであったかもしれないかつての人らの暮らしを夢想する。
ファストファッションだとか、腕組店主のラーメン屋によくある格言だとか、そうした市井の人らがしがみつく文化の浅さを半ば揶揄するような言論があるが、果たしてそうした人らが称揚する文化とは一体なんだというのか。かつてのピエール・ルジャンドルがイスラームからの反撃を警告したように、リベラリズムとグローバリズムでさんざ既存の共同体と文化にハードランディングでの変化を強いておいて、そこから零れ落ちた人らをこれみよがしに批難し、それどころか手を差し伸べる。
こちらが必死で自分なりのアイデンティティを掴もうとしているところに、実のところ既存のアイデンティティを創造性ゼロで単に輸入できただけの人らが、こんなに簡単な方法があるのにと不思議顔で平気で言ってのけるのだ。
こんな屈辱と苦痛があるか?!分断をより困難で複雑にしているのは自分かもしれないと、少しでも考えたことがあるのか?!
文化のことを語る