最近、GYAO!をよく見る。
GYAO!では動画に視聴者がレビューを付けられ、レーティングができるんだけどこの内容が結構ひどいの多い。
CMが入るとか、全話放送じゃないことへの不満を述べるのにレビュー欄を使って低レートをつける、作品へのレビューをサービスへのレビューに濫用するものであったり、次いでなんとかしてほしいって思うのが、自分の嫌いな要素が入っているからって低レートをつける、異なる趣味の持ち主にとって全く参考にならないようなレビューをするものだったり。
こういうの、せめてレビュアーのレーティングが可能で、参考にならないとしたユーザを非表示にしたり、そういったユーザのレート付けの影響が低いように設計すればみんな幸せになるのになとか思いもするけど、フィルターバブルの外側と言うのもそれはそれで貴重かもしれんなとか、いやそれはそれで外側を覗く機能さえあればいいのかもとか。
で、こういったものを見るとインターネット以前のメディア状況とかを考えるんだけど、結局のところ基本的な作法を持ち合わせているかどうかってのを編集者がフィルタリングしていたってことと、そういうフィルターを通った情報に一定の権威があったものが今日では失われてるってことだったりするよな。
正直身のまわりの人々の意識とかを鑑みるに最近になって人々が「感情の劣化」をしたとかそういうことって嘘だよなとか思うんだけど、多分本当に起きたのはそういった権威に担保されていたものの劣化だと思っている。
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