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意識高い系のことを語る

何か書かねばいけないような気がするのだけど気がするだけでナイヨウガナイヨウ的なあさってなことを書くかもしれない。
まず意識高い系にまつわる空気について。世の中わかりやすいのが好まれるふうになっていて、理想を追い求めることに関して理想を追い求める自己をPRする必要はないんだけど、あるべき理想を追求することは間違ってるとはいえない。意識高い系の人の「理想を追い求める自己をPR」が明らかに要らないしうざいのだけど長々とした議論を好まぬわかりやすさを求める世の中ではその部分を否定する言説が成り立たないし、立証も含めてめんどくさい。意識高い系の人の理想を追い求めてるおれカッコイイし正義だしっていう結論があって、理想と直結した結論だけしかないので理屈がないから強いし、だいたい現実現地現物から発想しないので相互に理解しあえないかもという絶望がある。おれめんどくさがりなので最初に結論がある人と話すのってめんどくさいので、なので理想を追い求める自己をPRするような人を「意識高い系(笑)」みたいな斜に構え冷笑してしまうところがある。あくまでもこれは私の見方であって世の中そういう風に冷笑してるかどうかはわからない。
で、しなければいけないこときちきちっとしたことをきちんとしたり理想を追い求めること自体はべつにおかしなことではない。でもそれを傍から見て「意識高い」というのはちょっと雑なのではないかな、とは思う。きちきちっとしたことを「意識高い」ということばで揶揄的に言うのは「きちきちっとしたことをできない」自分を認めたくないので、「きちきちっとしたことをできるひと」に対して「立つ瀬がないじゃん」「一緒にさぼろうよ」という形を変えたメッセージなのではないかな、とは思った。間違って読んでたらごめんなさい。
うむ、はなしがまとまらない。
ついでに書くと、カタカナ語が多い意識高い系の文章をみかけるとルー大柴の声で読みます