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原富太郎のことを語る

いま大黒ふ頭、前は北仲通りに帝蚕倉庫って会社がありまして、もともとは三渓園の原富太郎主導で作った会社です。この原富太郎という人は生糸商人だったんすけど、自分だけ儲ければいいとは考えなかった気骨のある人で、生糸の価格が暴落したときに帝国蚕糸という会社を作って市場で余った糸をそこそこの値段で買い入れて缶詰に入れて保存し、生糸価格があがった段階で欧米勢に売りさばきいちおうの利益を上げます。大正時代に2回ほどそれをやって、2回目のときの会社の清算時の剰余金の一部で(生糸検査所とセットで)作ったのが生糸輸出のための帝蚕倉庫という会社です。なおその資金以外の剰余金はすべて寄付しています(直後に関東大震災が来たので復興費用に充てられた)。
死んだ曾祖父と死んだ祖父は甲州街道沿いで商いというか生糸に手を出してまして関係があったらしくて、めぐりめぐって帝蚕倉庫の大株主じゃないけど株主です。ちゃんと書類を送ってくれるのですが、いまは生糸の時代じゃないので輸入ワインの保管等に力を入れてます。いつか株主総会に出たいと思ってるのだけど総会が6月の平日なので厳しいっててめえのことはともかく。
原さんが三渓園でなんであれだけの建物を集めたのかはさすがにわかんないんだけど・あてずっぽうなんだけど、生糸相場のふるまいを眺めてると自分の趣味というよりもいつかそれが社会のためになる日が来ると考えて保存していたのかなあ、と。別に原さんのことが好きとかそういうわけではなくて氏素性がばれない程度に流れでなんとなく書く気になったんすが。念のため書いておくと本名は原ではないです。
全然関係ないけど横浜駅を出た上り東海道線が京浜急行の快特に抜かれまいと加速するのがわりと好きです(だいたいまけちゃうんだけど)