@kodakana_ship10
日本語のことを語る

(承前)第三回です。以下のことは「こうである」というのではなく、「こう考えたらどうか」という提案として存ります。

住所と文法

いつだったか、「住所は文なのだ」という思い付きを得て、それから日本語の語順に対する考えが、どうにかまとまるようになった気がします。

住所や氏名の並びは、日本語と英語を比べると、互いにひっくり返っているので、文法と関わっているように見えます。もっとも英語の語順は「整合的でない」というのですが(他の多くの欧州言語も)、住所氏名に関しては SVO 型の基本に一致していると見ておくことにします。日本語は「整合的」なので一応問題はありません。

日本語の住所や氏名の書式については、中国から取り入れたのではないかという見方もできます。その場合でも、中国語の基本は SVO 型なのに、住所や氏名が「大から小へ」並ぶのは、文として見ると語順が「整合的でない」一面を現したように見え、それはなぜなのかという謎の答えによっては、むしろこの書式が SOV 型とされる言語の文法によった可能性は考えられます原初の中国語がピジン=クレオール的現象によって生まれ、そこに SOV 型言語も関与していた可能性がある

いずれにせよここでは、起源論的な正しさではなく、読み書きに役立つことを目指しています。

住所というのは、日本語の文として見ると、付属語を持たない特殊な構成になっています。日本語は付属語を必要とするはずなのに、「北海道札幌市北区」といった住所を、日本語話者は何故「読める」のでしょうか。「住所が大から小へ並んでいるのは常識だから」?

そう言って通過せずに、日本語は「整合的である」のだから、「住所の並びは日本語の語順を典型的に表しているから」と考えてみたいのです。例えば「東京都千代田区一丁目一番地江戸城 徳川家康」という宛名書きは、順序はそのままで「東京都は千代田区の一丁目一番地に在る江戸城には徳川家康が住んでいる」といったふつうの文に開くことができます。「住む」とか「在る」といった成分は含意されていたと考えておくことにします。

語順の文法的な働きを積極的に認めるための糸口が、ここに見付かりそうな手応えがあります。

客観式文

住所というのは、「客観的な情報の記述」であり、「客観的に大小関係を決められる情報の記述」です。そこで、住所のような形式にはめられる、客観式文とでも呼ぶべきものであれば、「日本語は自立語だけで文を成り立たせることができる」と考えてみるのです。

「大から小へ住所のような入れ子の関係として」という論理フォーマットが背後にあって、その上に語句の実体が置かれるので、住所は格助詞なしで成り立つ、という発見がここにあります。

てにをは類が省略される例がしばしば見られることも、必ずしも発話者の怠慢とか、破格の表現としてあるとは限らず、文法的に適格な場合があるものとして、積極的な評価ができそうです。

主語の標示が文法的に義務的ではないことも、これとの関わりで理解できそうです内容的に必要な場合にまで省略してしまうことの言い訳にはなりませんが。日本人はどうも客観を装った発話をしがちだ、という問題にも手が届きそうな気がします。全ての基礎に客観式文があるので、というのがここでの回答の試案です。

ところで住所は、並べ替えができない記述でもあります。既知の住所であれば、並べ替えても頭をひねって復元はできるので、非常に小さい社会であればそれでも話は通じるでしょう。しかし原初の小さい社会は互いに接続され、次第に広域の交流が頻繁になって行くので、それでは困ったことになるのです。

そこで、「格助詞があるから並べ替えても意味が通じる」のは現象面の説明に過ぎないので、「並べ替えをしても意味を通じさせる必要から格助詞が作られた」かもしれないと考えてみるのです。

主観式文

語句の並べ替えが必要になるのは、客観式文では主観性が伝わりやすい表現ができないので、ということになるでしょう。自己の立場からする主張や、感情の位相などの表明を、相手に受け取って欲しいと思えば、客観式文から離れた主観式文と呼べる形式が必要になります。

もし江戸城にお住まいの家康さんに、お宅はどちらですか、と尋ねたら、「私の江戸城は東京都の千代田区一丁目一番地にあるんだよ」という答えを返されたとします。江戸城が前に出ると、客観式文の形式から外れて、それが家康さんにとっては大きい存在なんだ、という感じを受け取ることができるようです。語句を並べ替えても、「大から小へ」という語順の基調は変わらず、ただ大小関係を認める視点が違っている点に注意してください。

漢詩の訓読で「我は読む書を」のような読み方をしても良いのは、そうすると主観式文の形式にはまって、情報的ではなく情緒的な感じを受けやすいからで、ここでは押韻という作法の効果が読み下しによって失われるのを、この形式が文法的に代償していると考えられそうです。

「私は本を読む」に対して「本を私は読む」と並べ替えれば、「本」が下文に対する主題として押し出されたというふうに受け取れます。発話者の気持ちの中で「読む」ということが最も大を占めていれば、「読むよ私は本を」とさえ言っても良く、ここでは「よ」という終助詞が格助詞であるかのようにふるまって、構文を支えています。

格助詞や終助詞といった分類はもちろん後から案出されたものなので、もともと主観式文を豊かにするために様々な付属語が発達した、と考えれば良さそうです。一度付属語が発達すると、客観式文にも流れ込んで、主観式文との区別が表面的には曖昧になった、と考えておくことにします。

「大から小へ型」として捉える

ここには、客観式文が崩れて行って、主観式文に整って行く、という転位の様相も見ることができます。日本語は「語順の自由度が高い」という認識には、「主観式文になろうとする時は」という但し書きを付けておく必要があるかもしれません。

「大から小へ」という基調を持つ論理フォーマットが背後にあり、実体フォーマットとしての語句の並びが前景にあって、両者ののっぴきならない関係によって、文の意義が最終的に決定される、というのが、日本語の語順が持つ文法的働きなのだ、とここでは捉えてみています。

この理解の仕方からは、

  • 書こうとするものは客観式文か主観式文かの判断
  • 扱う内容の物事に対する大小関係の認定

という、言葉を出す順序を決めるための基準が二つ取り出せるようです。これが文章の訓練に役立つかどうか、というのが次の課題になります。