よく投資などを勧めるサイトで「お金持ちになるにはお金を好きにならなければいけません」みたいなことが書いてあるのだが、「お金持ちになりたい」と言う人が「お金が嫌い」なワケはないのではないわけで、この種の言い回しは支離滅裂なのだが、支離滅裂な物言いには文字通りの意味に意図があるのではなく、何か別のところに意図があると考えた方がいい。
で、これはある種の呪文なのではないかとも思うわけで、で、これは自らの行為に疑問を持ったときにその疑問に対し「お前はお金が嫌いなのか!」と論点を反らす効果があるんじゃないかとかって思え、仮にそうだとするとこういった文章は他人にその「考え方」を広めるものである以上に自分自身の不安に対し唱える呪文なのではないのかなと。
あと仮に「お金が嫌いだけどお金持ちになりたい」と悩んでいるとして、この場合「お金が嫌い」もしくは「お金持ちになりたい」の何れかが偽なので、双方を分解して整合性のとれる命題のパターンを例示するのがその悩みへの有効な提案になりえると思うのだが、上記のような例ではだいたいの場合「お金が嫌い」だけを否定しようとするところに強迫性を感じなくもない。
「お金が嫌い」のことを語る