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正しく怖がるのことを語る

どうにも「危機感を持ちましょう」とか「他人事ではなく自分事として」みたいな呼び掛けって、いたずらに不安を煽るばかりなんじゃないかって思えてあんまり感心できなかったりしている。
結局のところより重要なのは「正しく怖がりましょう」って事なんだけど、この言葉が一体どういうものか、場合によってはピンと来ないものでもあってあまり使われにくいのかなとも思ったりして。その場合とは「怖がる」と言う言葉が不安感を抱えているとか、冷静さを欠いてまともな思考が出来なくなってしまっている状態にあまりに強く結びついてしまっている場合に、「正しく怖がる」と言うのは矛盾にしか感じられなくなってしまうってことだったり。
だけど、誰でも「正しく怖がる」なんてことは当たり前に出来ていることで、たとえば刃物を扱うことが出来る人は、刃が危いことを知っていて刃を怖がっているんだけど、刃の持つ危険性を回避するように注意をしているから扱うことが出来るとか、事務作業なんかでも「ここの計算を間違えるとあとで酷いことになる」とか知ってるからそれに関わるところを何度も確認したりとか、確認すべき勘所を磨いたりとかするわけだったりで。

COVID-19については通常の病気に対する正しい怖がりかたをしてもなかなか検査してもらえないとか、実はタイト故に医療崩壊を起こしたと言われるイタリアよりも日本の方がタイトだとかってことの周知に繋がることは、「エリート」達側にとって不都合なのではないかとか思えたり、感染爆発が明みになったときに「自分ごととして考えていなかった奴らのせいだ」と転嫁したいが為と言うのもあるんじゃないのかなとかも思うんだけどな。