英語をやる人は, この [ə] はあいまいな「ア」だと思っている, ドイツ語をやる人は, [ə] はあいまいな「エ」だと思っている, フランス語をやる人は, [ə] はあいまいな「ウ」だと思っている. では誰の意見が最も正しいかというとそれはたとえば, 私も彼女が私に気があると思っているが, あなたもそう思っており, 彼氏も彼氏でそう思っているのと同様, どれも正しくもあり正しくもないのです. 責任の一部は彼女の方にもあるわけで, 発音記号としての [ə] は, 同じ [ə] でも、英語ではやや(ややですよ, そうハッキリとではありません, 彼女は利口だから引っ込みのつかなくなるような言動はいたしません)「ア」に近い, ドイツ語ではやや「エ」に近い, フランス語ではやや「ウ」に近いのです. これは必ずしも各国語の我田引水論ではありません, 事実がそうなのです. けれども英語の「ア」とドイツ語の「エ」とフランス語の「ウ」との間には、ほとんど彼女の微笑と嘲笑と憫笑との間に存する区別ぐらいしかありません. 彼女の無表情な顔を 5, 6 年も研究した者でないと見分けることができません。(関口存男 著 関口一郎 改訂『関口・新ドイツ語の基礎』p.11より)
「彼女」に責任はあるだろうかとか、そもそも「彼女」に喩えてしまったのはどうなんだろうとか、それらはとりあえずおいといて、このちょっと独特な句読点の使い方が、もしかしたらドイツ語由来の現象だったりするのだろうか、句読点ではなく、連用形の使い方が独特だと言うべきだろうか、そしてそれも英語をマスターした人が一瞬、二人称の使い方がおかしくなるとかその手のあれだろうかと 11 頁時点ではとまどいを隠せないわたくしです。