感染者を責める人の心理が可成謎で、それが「ケガレ」のような発想なんだとして、
1.ヒトにはケガレた人とそうでない人がいる。
2.自分はもしかするとケガレた側にいるかもしれないと言う不安がある。
3.ケガレた側にいると感じた者たちを攻撃すれば自分はそっち側ではない気がする。
4.「謝罪せよ」とか、放火予告とかその内容に大した意味はなく、おしなべて攻撃であり、そのへんにあったものを出鱈目に投げかけたものに過ぎない。
ってことなのかなとは思うんだが、仮にそうだとして、どうしてそんな発想になってしまうのかってことがよくわからなくて、でもこういうの差別感情なんかにも通底している気がして重要な謎って感じがしているのだが。
あと、3に感じるのは論理的思考と言うよりは類推の濫用だったりするわけで、オカルティズムがしばしばそうであるようなものとも関連していると思うんだよな。
てか、とりあえずは類推と論理的思考の区別がこの手のものに付ける薬になるんだろうか?