オカルトは科学未満であり、科学の種でもある。
そう考えると真に受けるもんでもないし、馬鹿に出来るものでもない。
そして科学の最先端には未来のオカルトがあり、そして過去のオカルトの中にも未来の科学の種があるかもしれない。
その境界にあるものは何かと言えばおそらくは観測と操作の技術だろう。
顕微鏡が発明されるまで極小の世界は見ることが出来ず、病の原因については憶測するしかなかった。
悪魔のように目に見えない存在がいて、その悪意によって患うのだとか、火や土や水といった元素のバランスが崩れているのだとか。
そしてそれらは目に見える世界と同じような構造や作用が目に見えない世界にもあるに違いないといった憶測とともにあった。
その憶測のほとんどは間違っていたことが後にわかるのだけれど、観測による否定や、たまたま合っていたものの蓄積が科学だろう。
そしてもうひとつ、オカルトはヒトビトの認知のクセの歴史でもあり、芸術の種にもなる。
いやね、最近陰陽五行説とかをワケあってしっかり勉強してみようとか思いつつ、ものすごく戸惑ったりしてるのよ。
たとえば「肝」は現代的には「肝臓」そのものと考えにくいけど、昔の人は肝臓を「肝」だと思っていたとかってことにある稚児しさって、モノから機能を見る視点と、観念から機能を導きだして、それに対応するモノを措定する視点の違いから来てるわけだったり、あと、季節や方角を五行で考える考えかたの妥当性ってどの程度のものなのかとか。