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「現場は優秀」のことを語る

どうにもCOVID-19の被害が日本においてはトンマな政策に比べ少ないことについて、「上は無能でも現場は優秀と言う伝統による」みたいに語られることがあるんだけど、じゃあアメリカやイギリスの「現場」とやらはそんなにヒドいのかってことを考えれば、たとえばプログラミングの現場におけるアジャイルなんかは優秀な現場を最大限に邪魔しないような仕組みの提唱だったりするものを日本が遅れて導入しようとしているのとかって考えれば、別に日本の現場がとりわけ優秀と言うわけではないと思えるわけで、なんかこの種の主張には違和感しかない。もちろん、こういったものがトヨタ生産方式などを源流としているが、現状の日本は自らそれを生かすシステムを作れていない。

これだったらまだ「BCGが抵抗力に繋がった説」なんかのほうが眉唾だけど説得力があって、まぁこの種の「たまたま得ていた抵抗力」説には、伝染病には人種的な相性のようなものがあってそれぞれの病気の罹患率には人種的に偏りがある説とか、あるいは東アジア沿岸部の人々はもともとCOVID-19への変異前の似たウィルスに対する免疫をある程度持っていた説なんかがあるそうで、まぁこのへんに期待するとしよう。

で、「現場が優秀」と考えている人々の多くがそれほど国際的な現場を経験しているわけでもないだろうし、なんでそういう発想になるのかなって思うんだけど、ひとつは上述のトヨタ生産方式のようなものでの経済発展の経験によるものではないかと思う。ただこれって「上は無能でも現場が優秀」だから実現したわけじゃなくて、現場の力を最大限に発揮できる優秀な上がいたから実現したわけで、「上は無能でも現場は優秀」と言う成功体験ではない。もうひとつは上が無能ならば現場の力でゴリ押しするしかないところに追い込まれてしまっていて、そういった経験が「上は無能でも」と言う感覚に繋がるんだと思うけれど、でもこれって無能な上を改善する回路が欠落した結果なんじゃないのかなとか。