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「損得で動く人」のことを語る

ある種の人々を指すのに「損得で動く人」と言う言い方はなんとなく抵抗感があって、じゃあそうでない人は「損得」で動いていないのかと言えば、異なる価値の元での最大の効果を考えて動くことを「損得」の中に入れてしまうと全ての人は「損得」で動いていることにもなりそうで、本質的なのは価値の置きどころでしょうと。

でその価値の差は卑近なもののためにより大きなものを切り捨てる人と、より大きなものを抱え込もうとするかと言うことなんだけど、これも大きければ良いかと言えば、自身が想定し得る大きさのサイズ感を遥かに逸脱して大きくなると胡散臭くなるし、明かにより拾い範囲を見ながら狭い範囲のことしか見えないと惚けるのも略奪者そのものだったりで、サイズ感にも誠実さっているんだろうなとは思う。

ところでこの「損得で動く人」と言う言い方が鼻に付くのは、「あの人は損得で動く人ではないので素晴しい」と誰かを持て囃すときで、「あの人は損得で動くからなぁ」と警戒したり蔑んだりするときではないように思う。後者は価値のありかたを特定するために「損得」と言う語を用いているように感じるのだけど、前者はあえて価値の内容をぼかしたまま無条件にその人を称えよと言っているように感じるから。