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複雑な気持のことを語る

「複雑な気持」と感じるとき、何が次の行動を躊躇させるのかということを意識化し整理してみると背反する二つの要素間の葛藤とか案外単純な構造しか描けなかったりで、全く「複雑」ではないと感じられるときもある。
んで、構造が単純であればひとつひとつの要素を分解してみることで解決策を導くのは簡単なんだけど、でもなんかその解決策は違うと言うときもあって、それは真の解決策とは感じられないってこともあったりで。
で、こういうときってのは「解決できない状態を享楽しているに違いない」とかって思いがちなんだけど、実のところは先の整理や図式化の段階で見落しがあったような気がしてならない場合ってのがあって、実は「全く複雑でない」と感じた方が錯覚だったと言うときもある。
こういうときに誰かに相談しようってときに求めているものは必ずしもその単純化した図式の解決策なんかではなく、見落していたものについての確認だったりする。
こういうときに相談した相手がわざわざその今一納得の行かなかった解決策をドヤって示して「そういうことじゃなくてぇ」って言ったらムスっとしながら「なんだよ、解決したいんじゃないのかよ」とか呟きながら相談を持ち掛けた方への憎しみを募らせるみたいなことはしばしばあるけど、これってもちろん問い方にも問題はあるだろうけど、答えた方も相談者の理性と自らの単純さに対しての侮りがあるのではないだろうか。