なんかYoutubeで「幼女戦記」を例にネオリベの何が問題かを説くビデオがあって、見たんだけどモヤっとした。
まぁ件の作品の主人公の「幼女」ってのがネオリベないしシカゴ学派の擬人化で、風刺的な意図のある作品なんだってことはそのビデオを通じて知って、タイトルとか予告から「なんだか悪趣味の傾向が合わないからパス」って見なかったことが勿体無かったのかも知れないことが知れたことは収穫だったのだが、そのビデオで語られたネオリベのマズい点は前提とした「ヒトは合理的に判断する」と言うことに対し、「ヒトってそんな合理的じゃないよね」って突っ込もうとしていて、しかも合理的でない理由の一つに「感情で動くこともあるし」とか「そもそも合理的判断をするには完全な情報が必要でー」みたいな感じで、ちょっとモヤっとした。
多分だけど「ヒトは合理的」って言うときってそんなヒトを全知全能の神のような存在だって言ってるんじゃなくて、一人一人は細かな間違いもするけど多くの人々の判断が積み重なれば概ね社会は多くの人々の望む方向に行くに違いないみたいなことを言ってるわけで、「完全な情報が必要でー」みたいなツッコミ方は重箱の隅感が強い。
また、感情を理性と分けて考えるってところもちょっと素朴すぎ。
んで、自分なりにネオリベのどこが問題かってことを考えなおしてみたんだが、問題はこの「合理的」と言うものが何に対し合理的になるのかってことで、たとえばこれが「持続可能で公生な社会の実現」とか「不幸の最小化」といった価値に対して合理的なんだったらいいんだけど、ネオリベのように「ヒトは合理的なんだから自然にしておいた結果が最適解だ」ってしてしまうと価値の基準を失って、より素朴に現状のゲームで勝つことだけが価値になってしまって、ゲームのバランス調整がほとんど為されなくなってしまうってことなんじゃないのかなと。
だから全く外部からなんとなく上手く機能しているように見える社会を覗いてみて、その様子をネオリベ的に描写することは可能でも、その描写した結果を用いて実際の政策などに反映させるには全く向かないものだってことが本当の問題点なんじゃないのかなーと。
ネオリベの問題点のことを語る