宇崎ちゃんのアニメが始まっている。で、改めて見てみて例の騒動の双方の立場がなんとなく理解できるようになって、わりと面倒な事例だったのだなと思っている。
例の献血ポスターを不適切とする人々については難しくない。例のポスターは明かに無駄に性的であり差別的である。
しかし、マンガの方は無駄に性的ではあるが差別的ではない。どういうマンガかと言えば主人公が無駄に性的な外見を持ち、しかもそのことに無自覚な宇崎ちゃんと言う後輩に付き纏われるが、一人の後輩として適切な距離を保とうとする。しかし、油断したときに飛び込んで来る性的な刺激に当惑させられる様を描いたコメディである。
こういうマンガのように「別に性的な関係を持ちたいわけではない相手からの性的刺激をどう処すか」と言う問題は普通に起きえることで、それに対する「如何に相手を性的に見ないか」と言う努力を描いたマンガとのコラボで作られたポスターが、「女性を性的なものとして扱おうとしているポスター」として糾弾されることが理不尽に感じてしまう気持ちは判らなくはない。
ただ、この問題はポスターの企画側やマンガを知っていてポスターへの糾弾に対し養護した側が、あまりにマンガを知らない人にどう見えるかと言うことを考えていなかったのが問題ではないかと思う。情報の伝えかたは編集次第である。たとえば普通のファッションスナップから「乳首が浮いたカットだけを集めてみました!」とか「たまらんホットパンツスナップ集です!」みたいのを作ったとして「これは素材が性的ではないのだから性的ではない」と言うことは出来ないだろう。この例では意図が介在するが、たとえば「人が何らかの意味を持ち得るように強化学習されたシステムによる選別」と言う意図なき選別の結果そういうものが作られたとしても、やはりその結果を公表することには責任が生じてしまうだろう。宇崎ちゃんの場合は意図せず作ってしまった性的かつ差別的な編集結果が例のポスターなのだが、企画側の意識がコラボに傾きすぎて出力への評価を怠った結果が例の騒動と言えるのだろう。
しかしこれ、企画側が、マンガがネタとして内包させたトラップにそのまま引っかってしまっている様で、それはそれで興味深いと思うのであった。
宇崎ちゃん問題をふりかえるのことを語る