なんか「少年誌におけるエロ表現の問題ではなく暴力表現をエロとして消費させるのをやめてほしい」と言うツイに対し、「好きに描かせてよ。それから批評してよ」みたいなリプがついてて、いやこれこそ「好きに描かれたものに対する批評」なんだがなぁとしか思えないのだが、こういう意味の通らない議論をすると言うのは別に意図があると捉えるのが自然で、この場合は批評そのものが嫌いな人が「アーアー!聞こえないー!」をやってる可能性が高いなーとか思ったり。
そーいやジブリのアニメの批評に対して「ジブリは批評とかそんなの関係なく素晴らしいんだ!批評なんていらないんだ!」みたいな主張を見ていや、宮崎さんも高畑さんも何も新手の宗教の神に祭り上げられたくはないだろうよとか思ったのだが、先の例にしたってもしかするとエロに関する批評にのみ反応するのではなく、批評一般に対して反応すると言うか、ある種の崇拝のような原始的感情がそこにある可能性もあって、そういやその人わざわざアイコンに旭日旗を使ってたなとか。
いやまぁ、多分普通に現代人の格好をして、スマホなりPCで表出をするものがしばしば呪術的とも言える世界観の中での感情であると言うのはコミュニケーションの奥深さであって、もちろん「そんな意識が表出させられまくると、現代文明壊れちゃうかも…」的な危惧も勿論必要ではあるのだが、一方でそう思う批評的意識と言うものもありえた他のあり方とどのようにして距離が出来てしまったのかを考えなきゃなぁとか思ったりする次第。こういうところでにオカルトへの興味は繋がるのであった。
まぁカニをむしるが如くの面倒な作業ではあるが。
オカルトのことを語る