id:lieutar
議論のことを語る

なんか「昔は良かった」系のものを見て、そこに要するに愛着のあるものを持ち上げたいが為に、その外部にあるものを雑にこき下したいと言う意図が透けて見えて来つつ、ああ、これって差別なんかの背景にある思考に共通しているなと。
で、愛着のあるものにまっしぐらなその姿は幼児的とも言えたりもするわけで、そしてヒトは普通深く考える必要を感じなかった領域についてはいつまでも幼児のままなのだから、この種のものがありふれていることも頷けることなのだなと。
あとこの外部への雑さと言うものは基本的な認識、認知の仕組みが隠れているような気がしたり、あるいは視覚表現における「全体感」と言うものが単に技術論を越えた精神性を含むものであるようなことも考えるべきことのように思えた。

それはそうとして議論一般を現実認識の為のものだとすると、こういった種類のものは真っ当な意見と言うよりは会議中に「腹へった」とか「あの子が好きでたまらない!」とか突然叫ぶような、言わば表出であり、基本的にはノイズであり無意識である。
無意識には宝も埋まっているものだが、その九割以上はゴミであることは意識し続けるべきだろう。

また、ありふれた醜悪さ、悪そのものの背景にある種の「可愛さ」のようなものを見出すこともできるのかもしれない。もちろんそれを悪と認識した上でのことで、その影響を最小限に食い止める努力は絶対必要なのだが。