@RockofBuddhism
MMTのことを語る

1年近く前は換骨奪胎された日本版MMTなるものを見かけて、まるでトンチンカンなことを記載していたのだが、今日、MMTの理論の中でもJGPこそがその核を成すのであって、革命的ですらあることを垣間見、心が震えた。
このような知的感動を覚えたのは10年振りくらいで、それは多分、佐々木中の『夜戦と永遠』を読んだ時で。
そして私の中では明確にこれらふたつがリンクしている。
つまりだ、我々のありとあらゆる仕事が、新古典派経済学が掲げる生産性という物差しで計られマネジメントされて久しいが、そのようなマネジメント原理主義は単なる歴史の偶然の産物で、真実を生成する数多の装置のひとつに過ぎないことをフーコーとドゥルーズは示した。そして、MMTにおけるJGPはまた別の真実を生成する装置を提示している可能性がある。しかもそれは装置を生成する装置、ダイアグラムのダイアグラムですらある可能性を秘めている。
あるいは、資本主義を突き詰めることでその先に来るべき未来を夢想するのが暗黒啓蒙あるいは加速主義であるなら、JGPはアリストテレスの、あるいはカントの正当な後継であり、啓蒙の光ではなかろうか。
その姿は未だ朧気でよく見えないけれども、今日、確かに、マルクスとミンスキーが、フーコーとドゥルーズに出会ったのだった。
https://note.com/murashinn/n/nc42c18234429