ひとの体調問題について、それが優れないのであればその回復を祈ると言うのは「ひととして」当然のことではある。
しかし、そのひとが公人であり、しかもその失策が多くの被害を生んでいることが明白である場合についてはどうなのだろう?
多数の、そしてひとりひとりの被害者は多くの場合匿名的にならざるを得ず、被害者ひとりひとりは名を挙げて冥福や回復を祈ることなど出来ないのに、その原因を作った側ばかりに「××さん御自愛下さい」なんて言いたくはない。
そして「体調が悪いのだからひととして気遣えよ」と言うものがその失策の追求を阻害するのであれば、それは誰の為になるのだろうか?
議論のことを語る