ふるさと納税やGoToキャンペーンなど、富裕層向け再分配の多くが指摘されているが、これ、為政者達の悪意によるものである可能性も勿論あるんだけど、もうひとつ、彼らにとってのアンダークラスとしてイメージできるものが既にアッパーミドルクラスでしかない上に、まともな調査も想像力の限界を突破しようって努力もなくゆるふわに政策決定してみた結果って可能性もありそうな。
んで最近思うの、なんか文化資本に溢れた階層の人々に努力だけでは敵わないものがあると言うことを思い知ることって勿論あるんだけど、だからと言って彼らが日常を過すプロトコルとして獲得したに過ぎない洗練と、クソまみれの中から磨きあげた洗練の単体としての価値を考えたら後者の方が余程本質に迫れているんじゃないかとか、前者の方が形骸化している可能性とかあるいは無視やハラスメントの手法がより洗練の中に隠蔽されてるだけどすえ、ぶぶ漬けいかがどすか?みたいなこともあったりしーの、あるいはそういうものに対する不満が「普通の人々」的な暴力の中に眠らされてるんじゃないかとか、悪人正機的なことも考えたりしつつ。