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議論/破壊のことを語る

出鱈目な議論で議論そのものを破壊したいと言う意識の背後にあるもの、基本的には「アーアー聞こえないー」だと思っているが、もうひとつマウンティングの欲求のようなものがそこにあることもあって、まぁそういう要素の強い層がひろゆきとか橋下とかを崇拝してたりするんだろうなーってところはある。
「アーアー聞こえないー」ってのが現状追認の意図があるのに対し、マウンティングの方は議論そのものへの嫌悪や恐怖を背景としていると思うのだがけど、何故議論そのものが嫌悪や恐怖の対象になるのかと言えば、議論を通じ何か新しい発見が出来たといった成功体験よりも議論を通じ恥をかかされたとかって記憶の方が色濃くあるとかってこともありそうだったり。
で、そうなる理由ってのはそもそも議論を勝負事か何かと勘違いしていて、間違いに気付かされることを「負け」だとか恥だとか思っているからってところもありーの、もしかしてそれ以前にひとの生について過去、現在、未来それぞれの評価のあり方についての認識が狂ってるってこともあったりーのってのもあると思う。
んで、そういう非常に基礎的レベルの弱さってのは、おそらくここなんかでも指摘されているような風に児童虐待のようなものが社会的システムに組込まれていていることが背景にあったりするんじゃないかって思うし、んでそれは社会の粒度がいま人々を生かすのには不釣り合いに大きくなったことを背景にしているんじゃないかとか。まぁとは言ってもわが邦で叫ばれる「道州制」には警戒も必要だし、粒度は彼らが叫ぶような電力会社の管区ごとみたいのですら粗すぎる。