1936年7月の「盧溝橋事件」に端を発する「日支事変(当時の中国は中華民国と中国共産党で争っており蒋介石が第三国からの武器援助を受けるために国際的に日中戦争は紛争扱いにされていた)」から「太平洋戦争」に至るまでの経緯を眺めていたら、「トラウトマン和平工作」が大きな歴史の分かれ目であったように思えた。
この時の首相は近衛文麿で、歴史の教科書では「近衛声明」として一瞬出てくるだけの人だけれども、「国家総動員法」や「新体制運動」などの全体主義を推し進め、事実上「太平洋戦争」を招いた最大の責任者ではないかと思った(ぼくの爺ちゃんはこの近衛文麿がたぶん死ぬまで大嫌いだった)。
「帝国政府は以後国民政府を対手とせず」。
この一言だけは知っていたのだけれど、そこに何があったのかを知ると、ひと縄で行かない歴史の難しさを痛感させられる。しかし、「知れば知るほど、断定的なことが言えず、ただ時と人の営みに圧倒されるのが、歴史なんだ」と思う。そこには、今の自分たちと同じような人が、同じようにただ一回きりの人生を命をかけて送っていたのだった。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/トラウトマン和平工作
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