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考古学のことを語る

佐賀県の吉野ヶ里遺跡の一角にて新たに発掘された「石棺墓」について、報道からまとめて私見を述べます。

「石棺墓」について、報道によると:

  • 調査班は弥生時代後期のものとみている。
  • 位置は従来知られていた「北墳丘墓」の西(日吉神社跡)。
  • 2022年に神社が移転したため発掘できることになった。
  • 「石棺」の外寸は蓋を外す前の計測で長さ2.3m、幅は最大0.65m ほど。
  • 「石棺」の近傍には土器の破片が複数みられた。
  • 蓋石の内面には、赤色顔料(水銀朱か酸化鉄か?)の付着と×形などの線刻がみられた。
  • 内部には土砂が流入していた。
  • 内寸は長さ1.8m、幅0.36m、高さ0.27m ほど。
  • 内壁の一部にも赤色顔料の付着がみられた。
  • 内部から人骨や副葬品は出土しなかった。

云々。

まず内寸の幅が36cmというのはかなり小さく、大人が入る棺としては、ほとんどありうるかどうかぎりぎりではないかという感じがします。内部には土が入りこんでいたということなので、遺骸がもともとあったとしても土中の酸で骨まで溶けてしまうことは不思議ではありません。副葬品もあったとしても布や木製品などであれば溶けてしまいます。鉄でも小さいものであれば腐食して形がなくなってしまうでしょう。今後の土の化学的な検査でなんらかの痕跡がみつかるかどうかです。

しかし幅のせまさは、これがほんとうに「棺」であったのかどうか、疑いをもたせます。棺であったとすれば被葬者は年少者であった可能性もありますが、あるいは棺ではない可能性も視野に入れるべきかと思われます。またこの時期の北部九州の目立つ墓には、銅鏡などの青銅器や鉄器が多く副葬される例がよく知られているので、その点でも形の残るような副葬品がないのは不審な感じがします。他に例のないような特別な遺構であるかもしれません。

これから周辺の発掘も行われるようなので、なにかが新たにみつかれば全体のなかでのこの「石棺」の位置付けも論じられるようになることに期待したいと思います。