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どうする家康のことを語る

観ていないのですが、ネットで淀殿の「秀頼は私の子」というシーンが話題になっていたので。
大和和紀『イシュタルの娘』にもそんな描写があったなーと思って読み返しました。こちらは「淀だけの子」、もう一歩踏み込んで「秀吉の子では育たない」と淀殿に言わせていました。(鶴松は秀吉の子、秀頼はそうではないという設定で、淀殿は秀吉が殺生をしすぎたと考えている)

余白部分の作り込みは歴史ドラマの醍醐味ですが、解釈が似ることもあるのだなあと思ったのでした。あるいは、もしかして、最近はこの描写が優勢なのかな?