ここ最近のニュースを見ていて、ぼくは世の中で「理詰めだ」と思われている仕事をしているので余計にそう思うんだけれども、「理詰め」で相手の考えが変わったり、物事の状況がよくなったりすることは、まずないと思う。もっとも、ぼくはちゃんと調べることや観察することや考えることには意味がないと言ってるわけじゃないんだけれど、本当に物事を変えたかったら、「なぜその人がそう考えるのかについて分からないので教えてください」と相手を立てつつ、謙虚に聞くことが大事なんだよなあと思う。自分でこしらえた仮説や企画、理詰めな考えをぶつけても、相手は拗ねるか、怒るのかのどちらかしかなくなるのだと自戒を込めて思う(ぼくは人を怒らせることにかけては天才なのです)。理詰めは、相手の逃げ場をなくして、隅に追いやり、自尊心を損ねて、よい対話の機会をなくすだけで、裁判をやる時以外に得をすることがないのだ。人間はみんな余裕やプライドがある時だけ、善人になれるのだ(昨日も仕事をしていて、そう感じる瞬間があった)!「お前の言うことは正しい。でも、頭では分かるが、心が動かないんだよ!」と言われ続けて10年になるぼくからすると、「相手に考えさせて、答えてもらう。相手に気づいてもらう。相手をよい気分にしつつ、やる気を持ってもらう」のが、一番いいんだよなと思う。というわけで、ぼくは何でも一刀両断するよりも、なんか一緒にいるとワクワクして楽しくなりますねえ!的な無能の人になりたいよなあと何となく思ったのでした。
自分(id:happysweet55)のことを語る