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自分(id:happysweet55)のことを語る

旅行中、神武東征(『日本書紀』によれば紀元前667年-660年)が、自分の想像より1000年も早いことを知って、ずっと考えていた。しかし、紀元前1000年には権力者の誕生を可能にする水稲が日本に伝播していたので、あながち間違いではないと感じた。ぼくは単純に卑弥呼なき後の邪馬台国の人たちが3、4世紀に大和地方へ移り住んでいった、または権力の中心が移ったと考えていたんだけれど、それよりもずっと早く別の九州の人たちが大和地方に移り住んだ可能性のほうが高いと感じた。というのは、248年の卑弥呼の死後(3世紀半ば)、3世紀後半にはもう大和地方には古墳ができ始めていたし、4、5世紀にはヤマト王権は全国的な関係を持ち影響力を持っていたからだった。邪馬台国がどこにあったかは分からない。だけれども、大和地方にはどこかから移り住んできた人たちが、同時期にもっとすごい国を造っていたと考えたほうがいろいろと納得がいくのだった。