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qohelet(コヘレト)のことを語る

昔のとある作業に再びかかわって、思い出したこと。

代表監督の「コミュニケーション不足」という話になると「いやハリルホジッチはドアを開き、選手の話を聞いていた。何時間でも選手の話に付き合った」的な逸話が出てくる。
不足だと言う人の「コミュニケーション」とは、監督と個々の選手ではなく、選手同士での話し合いを認めろということだったのかもしれない。

基準を培うことが必要なとき、参加者同士で作っていく方法と、基準を持っていない方が持っている側に合わせる方法がある。おそらくハリルホジッチ氏は後者のやり方で、自分の基準をわかってもらうことを第一としたのだろう。

その「基準」に慣れないうちは、基準自体が本人の中でブレる。例えば、Aが起きたら必ずBを行う、という基準があったとしよう。慣れていないとき、培うべき基準と自分がズレていないか(Aが起きたときCを行うと思っていないか)と、自分の中で基準が一貫しているか(Aが起きたときBを行ったりCを行なったりしていないか)の2点の調整が必要となる。
もし、基準を身につけていない人同士で話し合ったら、3つ目の視点が加わってしまうので混乱が大きくなる可能性があるわけです。

もちろん、参加者間で基準を作っていく方法もあるので、一概にどれがいいという話ではないけれど、もしかして上記のようなことを考慮していたのかな?と思いました。