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雨子のことを語る

今日の東京新聞に、看護師の宮古あずささんが「看護系国会議員」と題して以下のように書かれている。
日本看護連盟所属の衆議院議員阿部俊子さん、木村弥生さん、参議院議員高階恵美子さん、石田昌宏さんら「看護職の代表」が、津久井やまゆり園の事件について「声を上げなかったことに深く落胆」し、そしてあの事件の被告の発言と同根の発言を衆議院議員杉田水脈さんがなさったことについても、現時点で何ら声明を出していないことに「ベッドサイドから政治を変える」とスローガンを掲げる日本看護連盟を代表するのなら「当然こうした発言には異を唱えなければならない」と。

彼ら彼女らに限らず、「見識や思想を示すのが仕事」という職種があって、私の友人でも何人かそういう立場の人がいるが、この数年、そうした働きがすごく鈍い。鈍いというか、ほとんどない。みんなどうしてんだろ、って思っちゃう。法律の言葉、政治の言葉、思想の言葉、そして日常生活の言葉、それらすべてが「経済の言葉」に飲み込まれている気がする。政治じゃなくて、経済の文体で多くの人が朝から晩まで話してるように見える。でもそれじゃ元気いっぱい生きていけないよ。人間のことを「生産性」だの「効率」だの「コスト」だの、そんな言葉じゃ生き抜けない。