うちでしか通じない符丁「俺はさみしいでごわす」
以前、そう言って女性をくどいている男性の姿を見たことがあります。
我々はその隣のテーブルで、鹿を食べたいような気がしていたところです。
男性は「俺はさみしいでごわす」という言葉はもちろん使いませんでしたが、要約するとそう言いたいようでした。女性たちが俺の気持ちをわかってくれない、頼られるばかりで辛い、女性はもうすこし自立していてほしい、そして俺を支えてほしいというようなことを切々と訴えていました。疲れているようでした。証拠に、彼の方が奥側のソファにどかっと座り、彼女は通路側に座っていました。彼女はせっせと口角を上げて、時折「たしかに」と肯定の言葉を差し挟んでいました。でも、彼女が何か話し出すと、彼がぺらぺらと「俺はさみしいでごわすエピソード」を話し出すので、彼女の真意はわかりませんでした。驚いたのは、そんなあれでありながら、男が「このあとどうする」的なあれを差し挟むことでした。
私たちは「鹿食べたいような気がするけどおなかいっぱいだ」と話がながらも目と目で「彼女に逃げてほしい」「さすがにこれは逃げるだろ」と会話していました。
それ以来、時々「『俺はさみしいでごわす』のあの人、どうしてるかなあ」と言ったり、単に「俺はさみしいでごわす」と脈絡なくつぶやいてみたり、そんなことをしています。
雨子のことを語る