高田馬場から離れて5カ月。
今朝、横浜に戻るのに早稲田通りを歩いていたら、
インドカレー屋のマラバールが安いチェーン(?)のラーメン屋に変わっていた。
驚いた。
この店に寄せる複雑な思いもあるし、正直「なぜ!?」という不平不満の一つも言いたくなる。
そんな思いで街を歩いていたら、今度は、早いランチのあとと思しき
この通りで25年も続いてるある店のマスターにばったり往きあった。
当たり前のように、ひとしきりマラバールがなくなったことを話した、そのあとで
「実は今月いっぱいで、次の人に変わって、地方に引っ込むんですよ」、と告白された。
ええっ!?
「どうされるんですか?」という野次馬的なわたしの問いに
50代半ばであろう、この人は「まあ、向こうで仕事探すんでしょうけどね」と無精ひげで笑う。
マラバールはトムヤムラーメンで一躍有名になった「ティーヌン」の
親会社、スパイスロードがたぶん初めて、(少なくともごくごく初期に)オープンした
「高田馬場の顔」的な店だった。
それが、なくなった。
早稲田通りに来ると、知人は「変わるの早いよね」というし、
ダーリンも「ラーメン屋ばっかりになっちまって」と寂しがることがあるけど、
そのとき今までは「まあ、そんなものよ」と思っていた。
高田馬場の住人であったときは。
なのに今日は、なんともいえない郷愁に支配されてしまった。
実に切ない。
さらに、こんなことは、重なるもので、今、たまたま読んでいるのが、
再開発中の元「ちょんの間」街・日ノ出町のコジャレタ本屋で激安だった
クンデラの『無知』の古本で、
≪…このような語源に照らしてみると、nostalgie(郷愁、懐かしさ)とは
無知の苦しみであることが判明する。あなたが遠くにいるのに、わたしは
あなたがとうなっているのか知らない。故国が遠くにあるので、わたしは
そこで何が起こっているのか知らない。…≫
という一節で、追い打ちをかけられたりもする。
こうして、無意識をあっちへ押され、こっちへ押され、ゆすぶられているうちに
街が変わっているのではなくて、
変わってしまったのは自分なんだ
ということに気づく。容赦なく心動かされる。抗いがたい思い当たり方で。
「街はいつも変わっている」ということは変わらない事実なのに
いつのまにか、そこに違和感を覚えるようになってしまったのは、アタクシのほうだ。
電車に揺られて関内に戻ってきて、ほっとする。
のんびりおっとりしたこの街のペースにすっかりなじんでしまった。
変わっていくのは街じゃない、アタクシのほうだ。
変わりやすいし、また変えやすいのも。
apoのことを語る