昨日の笑った「法螺話」がこんな場所で、こんな風に効いてくる。本当に計算されている。
「言葉で説明しない」ことのバランスも絶妙(時々、説明しなくちゃ行けない状況なんだなーと思うときもあるけれど、基本的には削ぎ落として言ってると思う)
セリフにするべき言葉は
「口をついてでてしまった言葉」だけだ。
それだけで充分だし、充分であるべきだ。
セリフなんかなくても、テレビの画面には他にもたくさん情報があるのだし。
役者の表情、動作。
表現したいものに寄り添うような劇伴。
カメラが捉える、背景。大道具。小道具。
そんなにたくさん、情報が溢れているのに、セリフでいわれなきゃわからない、なんて野暮なことはいいたくない。
いいたくないからしっかり見なければ。
「説明しないこと」の恐怖を、制作側は必ず理解しているはず。それでも、こちらを信じてこういう作りをしてるんだから。
八重子さんの「家のことは……」のセリフに泣いた。
その後の、泰蔵さんの表情は、その言葉の意味をわかってる顔だった。(当然だけど)