重症の患者をファッションショーのモデルにしたいと「夢」や「希望」と言う言葉を使って説得する糸子。
普通のドラマだったら、ここで「無理が通れば道理引っ込む」で、なんとなく患者を使うことになったのではないか、と思う。
その「無理」からドラマが生まれる、と言うのもあるし、実際この手の主人公の説得は、ドラマとしてレベルが引くけりゃ「主人公補正ひどいwwww」(ex.南極大陸)だけど、それなりのものはそれなりに、見えたはずだ。
ましてやカーネーション。ここまでで充分、丁寧に作られたドラマだって言うことは伝えてきてるし、糸子という人の凄さも、そしてそれを演じる夏木マリにも説得力がある。
私は、視聴者として、説得されてもかまわなかったし(偉そう)説得されてもいい程度の「夢」や「希望」の使い方だ、と思った。
そこに……あの、婦長(士長)の返し。さすが、さすが渡辺あやだよーー。
主人公以外の人間が、ちゃんと生きてて、そして、主人公以外の人間だって、その仕事と生を全うしている。
あの場面は、「破天荒な主人公」vs「生真面目な婦長」なんてくだらないものを見せたいんじゃなくて、それぞれの人生のそれぞれの年齢の、それぞれの主張の、その交わる1コマを描いてるに過ぎない。
ふう……今日も、面白かった。