しかしこれでも、去年の後半(断捨離を意識してしてた頃)は三月に一遍はブコフに本を売りにいき
その度に5〜6000円程度の値がつく位には、本を処分していたのだ。
たくさん本は買っていたし、持っている方だと思ってはいたけれど
だからこそ定期的に処分しているつもりだったし、出来てると思っていた。
今回とにかく出してみて驚いたのは、「幽霊みたいな本」がたくさんあった事だ。
「幽霊みたいな本」に面白いとか面白くないとかは関係ない。
むしろ、自分が一度は夢中になって、何度も何度も繰り返し読んだような本の方が「幽霊」になりやすい。
何度も読んだ、夢中になった、というイメージだけでいつまでもいつまでも持ち続けているからだ。
これ、本棚から出さなかったらわからなかったと思う。
本棚から出しても、コミックなんかは1巻〜10巻とかあるから、塊で捉えてしまい
疲れてくると惰性で右から左へ、取っておくエリアに移動させたりしてしまった。
本当、出すって大事。一度、そのものの全体図を見るためにも、どこかにだして、一カ所に集めるって、結構大事だ。
私の場合、大量にあったので、何日も掛けて本だけの片付けをしていて、そのおかげで、何度か見直す事が出来て、そこで気がついた。本棚に入れてからも、何度か深呼吸して見直した。
正直に言うと、残し方は完璧とは言えない。これは、今は、捨てられない、と言う本がいくつかあった。
仕方ないから「読んでないもの」は読んだら処分を考えるエリアに置いた。そこにある本は、読んだ後、必ず処分を前提に考える。目に入る場所で取り出しやすい場所にしたから、何度も見直しを心がける。
文字通り「今は手放せない」と逡巡した本があった。
しかしどっかで、今はこの本を、一生持っているイメージがわかない、と言う本。
例えば、谷地恵美子の「明日の王様」がそうでした。
当然のように残すエリアに置いておきながら、とにかく気になって気になって仕方がなかったもの。
なんでしょうね。あれ、わかるね。わかるようになるね。
「明日の王様」は小劇場を舞台にした物語。何度も面白いと思って読んだし、今よんでも面白いと思うし、去年だって読み返したんだけど、なぜか、残すべきじゃないんじゃないかな、って思えて仕方がない。
持っていなくても、読みたくなったら漫画喫茶でもレンタルでもすれば良い、と思えるし。
なんだろう、これ、なんだろう、と思っているうちに……気がついてしまった。
これは、この漫画に対する執着ではなくて、この漫画が舞台に使っている「演劇」という分野に対する執着だ、ということに。
私は昔、芝居をやっていた事があって、ずっと脚本家になりたいと思ってたんだけど
もちろんそれは出来ていなくて、今は離れていて、でもどこかでやりたい
やりたかった、と言う気持ちがあって。
その、分野に対する執着と、今それをしていない自分に対する自己嫌悪とがあって、
演劇に少しでも触れているようなものを処分するのは、完全にあきらめた、と認める
行為のように思えて、辛いんだ、と。
「明日の王様」は、処分する箱の中に入れました。