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あまちゃんのことを語る

クドカンが、今年の3/11にブログに

「確かにドラマの舞台は東北なのだが、震災があったから東北なのではない。自分の書きたいドラマの舞台に最もふさわしい場所がたまたま岩手県の北三陸地方だったのです」
「そもそも東北の人々がみな「震災のドラマ」を見たがっているのでしょうか。ドラマはフィクションなんだし、忘れたり思い出したり笑い飛ばしたりしんみりしたり元気出したりで良いんじゃないですか?」
「『あまちゃん』は震災を描くドラマではありません。お茶の間の皆さんが愛着を持って見守って来たキャラクター達が、その時を経て何を感じ、どう変わるかは、ちゃんと描くことになると思います。」

http://otonakeikaku.jp/special/special_kudo2013_03.html

と書いていて、それが「震災を書く」と言う事に対してとてもしっくり来ました。
私はそれ以来、「あまちゃん」をそう言う心持ちで見ている。

2011年3月11日に向かっていく東北を描くとき、それをみて「笑え」たり「楽しんで」しまうことが「不謹慎」になるのだとしたら、こんなに哀しい事はない、と思ったから。