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マッサンのことを語る

・相武紗季の今にも泣き出しそうな、だけどプライドだけでそこに立っている、という演技がかっこよかった。
三者三様に理不尽である、と主張できる案件の中で、あの提案は、現実的には理不尽の痛み分けをしましょう、というもので、それを彼女がする辛さは十二分に伝わってきた。本当に意地悪で理不尽だったら、「ウィスキー作りを諦めろ」って言うと思う。
しかし、あの演技の感じの「可愛げのなさ」は全く別の印象も与えるだろうと想像できるので、面白かった。

・しかしマッサン、完全にただの子どもじゃないですか。夢に向かって一直線の情熱的なマッサンの言動に、周囲はそれに協力してくれて当たり前、と言う雰囲気が混ざるのは、ああ、無邪気な子どもだな、と思うし、それだからこそ無茶な夢でも信じて、それに向かって邁進できたって事はあるだろうけれど、ただ、それが引き起こすトラブルって言うのも当然あるわけで、そう言うときに、そのトラブルが「彼の夢や愛を邪魔する障害」として描かれたら、嫌だなあ、と思う。まさに優子。
マッサンが子どもすぎると、結果的にエリーが母のように見えてしまうし、同時に愛に関してはきちんとした自己主張があるエリー…「恋人、友人、同士、そのどれでもある」だけなら、自立した二人が夢に向かって進んでいく、になるんだけど、そこに「母」が入ってきちゃうと、それはちょっと、男にとって都合が良すぎるでしょう、って思うんだけどどうなの。

・エリーが、逆ギレしたマッサンに対してキレたら、最高に面白かったなー。あと、マッサンの「たらし込み技術」に情熱以外の物がちゃんとあったりなんかするとおもしろいのに。こう…優子と二人で話して、「ごめんな?」みたいなのがあったりするとさあ。まっすぐ、じゃなくて、ろくでもない誠意の見せ方がみたい。ああ、でも、これ、史実か…

・人をたらし込むのは情熱だけじゃないなー、と思うので、それにたらし込まれない人も魅力的に描いてもらえるといいな。たらし込まれない側を「障害」のように描くのはやめてほしい。後味が悪いので。そっちにはそっちの言い分があるし、大風呂敷広げるだけが夢に向かって邁進すること、じゃないもん。