もしも、この3人に、十分な時間があったとしたら、と考えずにはいられない一時間であった。
畳み掛けられる「選ぶ余地などないではないか」というセリフと状況。
しかし最初の二つの「選ぶ余地などないではないか」は、自分の心に正直になれば、だった。
「お前の選ぶ道を一緒に行く」と「お前を信じる」だった。
寿桂尼の「答えを選ばれよ」だけが、本当に選択の余地がなかった。
友も自分の命も選べない。そもそも、それは天秤には乗っていない。
乗っていたのは、政次の心と、井伊の未来だもの。選ぶ余地がない。政次は、自分の心は選ばない。
「答えは一つとは限らぬ」と笑った次郎法師が眩しいよ…